クジラ類は水中で生活しており、ニッチとしては魚と非常に近いわけですが、彼らにはヒレやウロコはありません。
祖先種がいちど陸上の生活に適応したということを今でも引きずっているのです。
このように、同じようなニッチにおいて生活していても、系統的な制約のために異なる特徴をもっている例があります。
いまや地球環境問題は人類にとって最も大きな関心事になりつつあります。
かつては石油資源の枯渇が大問題として懸念されていましたが、このままいくと資源が枯渇する前に環境の悪化によって人類は滅亡するのではないかという人もいます。
かたや環境保護運動も盛んになっており、書店に行くと「地球にやさしい○○」とか、「地球を救う××」といったタイトルの本が数多く見受けられます。
家電製品などの広告にも似たような文句がありますね。
わたしの勤めている大学では節電運動をやっており、あるポスターにはでっかく「地球治癒」と書かれていました。
しかし、よく考えてみればこれほど欺隔的なものもありません。
万が一温暖化が非常に進んで陸地のほとんどが水没しても、地球そのものはびくともせず存在し続けます。
こういったスローガンに欠けているのは、地球環境問題といったときの「環境」とは何であり、「問題」とは誰にとっての問題かという意識です。
チューブワームが生息しているのは光の届かない深海です。
地球上のほとんどの種は、生産者が太陽エネルギーを利用してつくる有機物の循環サイクルのなかに組み込まれています。
わたしたち人間もそうですが、ただ現代人は少しここから外れてしまっているといえるでしょう。
その話は次でするとして、チューブワームは太陽エネルギーとは無縁の環境にいますから、これとは別のサイクルに組み込まれているわけです。
彼らにとって太陽エネルギーの代わりになっているのは地熱です。
熱水の噴出孔の周りには、チューブワームだけではなくイソギンチャクやエビ、カニなどさまざまな種が、地熱のエネルギーを基にしか生態系を築いています。
もちろん彼らとて呼吸に酸素は必要であり、酸素は光合成からつくられますから、まったく地上の生態系と独立しているとはいえないでしょう。
しかし、いわゆる地球環境破壊によって人類が滅亡しても、チューブワームにはほとんど何の影響もないに違いありません。
チューブワームよりもさらに影響を受けそうにないのが単細胞生物です。
わたしたちは生物というと哺乳類や魚、昆虫などを思い浮かべますが、これらは皆複数の細胞からできているものです。
単一の細胞からなる微生物は肉眼ではまず見えないため、人間にとってはあまり意識されることがありませんが、実はこれらの単細胞生物こそ地球上で最も種類が多く、あらゆるところにはびこっている生物なのです。
最近では、地下一〇〇〇メートルの岩石にできたわずかな隙間に、酸素がなくても生きていける微生物が多数生息していることが分かっています。
彼らにとって地上の人間とそれを取り巻く環境などほとんど無関係でしょう。
つまり、地球環境「問題」というのはあくまでわたしたち人間にとっての問題だということです。
人間が適応してきたニッチが失われるからこそ、それが脅威になるのです。
ですから、「地球にやさしい○○」ではなく、その本質は「人類にやさしい○○」だといえるでしょう。
自然保護を正当化する理由として、それによって人間に何らかの利益がもたらされるからだというものがあります。
例えば、いま生物多様性の保護が大きな問題となっています。
熱帯雨林の破壊などにより、人為的な理由で多くの生物種が絶滅しているわけですが、なぜ多様性が失われることが問題になるのでしょうか。
理由として、その種が医療や食料、産業にとっての利益をもたらす可能性があること、二酸化炭素の吸収といった人間の生命維持に貢献すること、あるいは観光資源になることなどが挙げられるわけですが、このように人間への直接的・間接的な利益をもちだして保護の正当性とすることを、環境倫理学では「人間中心主義」と呼んでいます。
環境倫理学はこのような人間中心主義が現在の環境破壊の根底にあるという立場をとっており、これに対抗する概念として、非人間中心主義、あるいは自然中心主義というものが唱えられています。
その典型的なものがディープーエコロジーと呼ばれる思想で、すべての生物には等しく内在的価値があり、権利があるのだと主張するものです。
そこから、人間の利益のために自然環境を保護するという「保全」という思想と、自然環境にはそれ自体に内在的価値があるから保護するのだ、という「保存」という思想の対立が出てきます。
自然保護といっても、実は「保全」と「保存」とではかなり発想が異なるわけです。
SF小説でこういうものがありました。
あるロボットが要人の暗殺を阻止する命令を受けます。
そのロボットはどうやって要人を守るかずっと悩んだあげく、守るべき要人を自分で撃ち殺し、「これで暗殺は不可能です」と言ったそうです。
これは「フレーム問題」という、人工知能研究における重要な問題を扱った有名な話です。
環境問題にも同じことがいえるのかもしれません。
地球上に人類がいなくなってしまえば、環境問題を問題にする者がいなくなるわけですから、環境問題は解決します。
しかし、そんな解決が解決といえるのでしょうか。
倫理的な側面の議論は後でするとして、極端なかたちの自然中心主義は少なくとも論理的には誤りであるということがいえるでしょう。
環境問題の対象となる「問題」が、人間の棲むニッチに関わるものである以上、ある程度人間を中心に考えざるを得ないのではないでしょうか。
もちろん、それは「人間優位主義」とは異なります。
「人間中心主義」と「自然中心主義」、あるいは「保全」と「保存」の対立というのは、実は倫理的なものではなく、空間や時間のスケールをわたしたちがどのように捉えているかという問題ではないでしょうか。
これまで述べてきたように、人間も自然淘汰によって環境に適応し、生態系のなかに組み込まれている生物種のひとつです。
他の種や周囲の非生物的環境との相互作用なしには存在し得ないものだし、だからこそ生態系を保護しなければならないのですが、そのような相互作用は空間的、時間的に非常に大きなスケールで起こります。
一方、わたしたちが日常生活において問題にする利害というものは、それに比べるとずっとスケールの小さなものです。
わたしたちは、基本的にはこのような日常的なスケールでしか物事を捉えられないようにできているのかもしれません。
だからこそ環境問題が起こっているのでしょう。
イエバエや二枚貝に環境世界があるように、わたしたちにも人間としての環境世界があります。
その環境世界は、人類が進化の歴史のなかで周囲の環境に適応していくなかで形成されてきたものです。
後で詳しく述べますが、進化における適応とは非常に場当たり的なものです。
ですから、わたしたちの認知能力も、うまく捕食者から逃れる、あるいはなるべくいい配偶者を得るといった、具体的で個別な問題を解決するようなつくりになっていると考えられます。
生態系といった大きなスケールのなかで自らの存在を考えるなどといったことよりも、今日をいかにして生き延びるか、ということの方が、わたしたちの先祖には大事なことだったのです。
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